ガザ そして イスラエル

 6月、毎年のように夫婦で海外旅行を楽しんでいた80歳の友人が、年齢のこともあり、もう大きな旅はこれが最後になるかもしれないという決意のもとに選んだのが、イスラエルとヨルダンへの旅でした。土産にオイルと砂と、炙ると香りの立つ石をもらったのはつい4ヶ月前のことでした。北陸に暮らす友人のMさんから、イスラエルから来日している友人、Nさんを紹介されて会ったのは、春まだ浅き4月、半年前のことでした。その時は誰も10月7日にガザのハマスが壁を超えてイスラエルを武力攻撃し、何百人もの市民を殺害し、誘拐し、それに対してイスラエルのネタニヤフ首相が「ハマスを根絶やしにする」と明言し、圧倒的な武力を持ってガザ地区への地上戦を展開するような事態になるとは予想もできませんでした。すでにガザの無辜の民は、あっという間に報復されて千人以上どころか10月10日時点で、双方の犠牲者は5500人以上にのぼります。 ユダヤ人と結婚してアメリカに60年以上暮らしているKさんに電話をして、この事態をどう考えているか、バイデンがイスラエルを訪問したがアメリカでの報道はどのようなものかを尋ねたところ・・・「そんなことになってるの?全然知らなかったわ!」という驚きの答えです。ユダヤ人の小姑にイジメ抜かれ差別されたという彼女は大変に知的で、人権問題やジェンダー問題にも鋭い問題意識のある人なのですが、ことイスラエルに関してはほとんど関心がなく、建国の事情に関しても「ホロコーストで酷い目にあったから、どこかに自分たちの国を建設しなければならない、だから土地をもらったんでしょ?」という信じがたい答えでした。「誰から?」とあえて尋ねると曖昧で「知らない」といいます。ただ1963年に新婚旅行でヨーロッパへ長い船旅をした折には、イスラエルに入国するとその後にエジプトには入国できないという事情から、イスラエル訪問を諦めたといいます。北陸のMさんにはイスラエルのNさんから、とにかく「一般的な報道を信じないように」と連絡があったそうです。しかし、わたし自身、他人様のことを偉そうに言えた義理ではありません。中東の不自然で歪な状態が増幅させているパレスチナ人とイスラエルの憎悪が、今にも沸点を越えるのではないかとハラハラしながらも、所詮わたしたちに出来ることなどは何もない、というのが現実です。しかもわたしがいま暮らす日本をはじめ、西側諸国は一方的にイスラエルを支持するばかりで、ハマスを悪者に仕立て上げ、そこに至るまでのハマスの事情やパレスチナの人々の悲しみや憤怒はいっぺんだにしません。よって、とにかく「即時停戦」を呼びかける国連の安保理提案もアメリカの拒否権で採択されることはありませんでした。ウクライナとロシアの戦争でも、ガザとイスラエルの事態でも、歴史的に他国の多大なる犠牲の上に富を集積し、繁栄を見てきた西側陣営は、当事国で失われてゆく人々の命など、痛くも痒くもない。争いを仲裁して少しでも早く平和を取り戻す努力をする代わりに、武器をどんどんと供与し、戦いを長引かせ、他人の命と血で金儲けをしようという腹づもり。これを悪魔といわずして、なんと呼べば良いでしょうか。ナチスによるホロコーストで根絶やしにされそうになるという恐怖を味わったユダヤの人々が、同じ思想と言葉で、いや何倍もの「憎悪」で、自分たちが追払い土地を奪ったパレスチナの人々に向ける理不尽、不条理に言葉を失います。この問題で、日本のメディアにはさまざまな専門家が登場して解説をしていますが、わたしが最も信頼するのは放送大学名誉教授の高橋和夫さんです。なぜなら彼には正確で理性的な知識はもちろんですが冷静で、理不尽と不受理に対する人としての真っ当な憤りがあり、何よりこの問題で苦しむ人々への愛情が感じられるのです。祖国・朝鮮が日本国に侵略され植民地になったことを発端に、連合国・アメリカの介入を招き、第二次世界大戦での日本の敗戦後も未だ78年の長きにわたって南北分断の状況にあるわたしにとっては、朝鮮半島でことあるごとに専門家としてメディアに登場し、トクトクと朝鮮半島問題を解説する人々の胡散臭さ、いい加減さ、朝鮮半島への愛情のカケラもない言説にうんざりさせられることが多くあります。彼らは、そして彼らを重用するメディアの報道は、当事者を全く代表せず、ことごとくわたしの憤りと悲しみを増幅するばかりでした。パレスチナとイスラエルの確執は、元を辿れば2000年前にも及ぶことです。わずか100年前の関東大震災時に起きた朝鮮人虐殺の事実にさえ、記録がない、などと政府や都知事が事実を曲げて責任を回避し、80年前の戦時徴用などの問題さえスッキリと双方を納得させられない、こちらとあちらのことが胸に迫り、しかし痛みは重なります。今まさに緊迫するイスラエルから当事者として連絡してきたNさんの「報道を鵜呑みにしないで!」というメッセージは、和平ではなく、解説と称して戦闘を煽るばかりのメディアへの憤怒と、一方で、平凡で、力はなく、権力にはほど遠くとも、人として真っ当な愛ある友人たちへの、踊らされるな、という願いであり、切羽詰まった命の叫びです。わたしたちには、どんなことができるでしょう? わたしたちにもすべきこと、できることはあるはずです。

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