わたしは外国籍のまま日本で暮らしています。が、「日本に生まれた以上、住んでいる以上、この国のかたちを考えぬ訳にはいかない」という、テレビから聞こえてきた言葉を思わず書き留めたらしいメモが出てきました。どの番組のどなたの発言だったのかは失念しました。
わたしもまさしく日本で生まれ、以来ずっと日本に住んでおり新たな家庭も築き子を育て、友人知人はもちろん今では親族にも幾人かの日本人がいるので、この国(日本)のかたちを考えぬ訳にはいかないのですが、日本が朝鮮半島を植民地化して政治的権限とあらゆる富を収奪した歴史をよくご存知ない『在日特権を許さない』という会に属する人々や意地の悪い心ない人たちにとっては「お前たちには日本のことを考える権利すらない、余計なお世話だ、沈黙していろ」という発想になるようです。あらゆる税金の義務や社会制度の恩恵は日本人とまったく同じように受けていますが、国政はまだしも、暮らしている村や町の首長選挙にも参加することはできません。これは先進国では日本だけのようです。
昨年末から、政府与党である自民党の最大派閥をはじめとする多くの議員たちが、法律の網をかいくぐって不正な裏金を作っていたことが明らかになり、その上、部下に罪を押しつけて逃げまわる様を多くの選挙民が知ることになりました。罪が重いと思われる七人衆の顔がテレビに映し出されるたびに、その顔を見るのがおぞましく、暗澹たる気持ちになりました。
わたし自身が本来のアンデンティティを放棄するか日本の空気や政治が大きく変化しない限り、わたしは日本政府の方針どうりに政治的な権利は一切ないままに日本で生きることになりますが、昨今の日本の国政の様子を見る限り、国民であるとかないとか選挙権があるとかないとかという問題以前に、このように国民に嘘をつき、あまつさえ毎年のように自国民が災害の被害に遭ったり、経済格差に呻吟する姿を見ながら、自らの保身に汲々とする政治家たちの精神の卑しさというか、おぞましさを見せられる苦しさに、普遍的な人としての憤りと不快を覚えてしまいます。
一体、彼らが政治家になった動機は何なのでしょう? 国民と苦楽を分かち合い、国民のために働く公的な力を持つために政治家を目指したのではなかったのか? いま改めて彼らの過去の動画などを見てみると、国民が気がつかないうちに、こっそりと世界一民主的だったワイマール憲法を変えてしまったナチスのやり方を真似れば良いと語った首相経験者・麻生氏をはじめ、「国家のために血を流せ、祖国のために命を差し出して戦え」と扇動する政権与党・自民党議員の姿を見ることができます。しかし国民にそれを要求する政治家たちは、国民にはそれを強いても、自らは決して命など投げ出しはしない人たちであることに、日本の人々はいつになれば鉄槌をくだすのでしょう。国家衰退の根源は「子供を産まない女」だと、戦時中のように産めや増やせを喧伝し、日本が世界に誇る人類の至宝である「平和憲法」を、ナチスがワイマール憲法を破壊して恐ろしい独裁への道を開いた「緊急事態法」を言い立てることによって骨抜きにしようとする政治家たちに、いつまで自分たちの運命を付託するのでしょうか。
日本の敗戦以来、ほとんど80年の長きにわたって日本の政治を担ってきたのは今日にいたるまで自由民主党です。その彼らの正体は、日本国中が震源地になりうるような狭い国土に、同じような広さのカルフォルニアにはアメリカでは3機ほどしかない原発を54機も作って危険に晒し、年頭から能登の人々が巨大地震に襲われて寒さに震える中、現地の国民を心配し労るでもなく駆けつけるでもなく、国民から搾り取った金を使途不明の裏金としてもその犯罪を罰せられるでもなく、逃げおおせて国会でニヤニヤしているような人々です。しかしここまで来れば、それは彼らをのさばらせている国民一人一人の責任であると言わざるを得ません。それあることか「一票でも勝ちは勝ち」「私たちは選挙で選ばれている」「民主主義は多数決だ」という小学生並みの開き直りが、今や彼らの堂々たる主張です。何度も甘やかされ許されて、いまや何をやっても自分たちの立場は安泰だと、国民を舐め切っているのでしょう。
もう30年ほど昔のことになるでしょうか、ある講演会で社会学者の上野千鶴子さんが「マイクは権力だ」というのを聞いて、わたしはキョトンとしました。当時のわたしはそれほどまでにおぼこで、彼女の言葉の意味を解せなかったのですが、今はあの言葉が骨身に沁みています。
メディアを通じて、あらゆる場面で声高に主張を叫び拡散することができるのは、まさしく特権たるマイクを握っていればこそなのです。そうでなければ、小さな声はかき消され、無視されてしまいます。であればこそ権力者は、息のかかった芸人や司会者、評論家や学者を使って繰り返し自分たちの主張を拡散し、都合の良い世論を醸成していきます。何しろ、「選挙で選ばれ」て権力を寡占し甘い汁をたっぷりと吸い込んだ彼らには、野党など足元に及ばぬほど「権力掌握のためにいかに国民をコントロールし、選挙で自分たちを選ばせるか」のノウハウの蓄積があり、野党が持っていない権限があり、あらゆる手段で集めた野党とは比べ物にならないほどの「潤沢な資金」があります。
昔、家族で楽しんだ「水戸黄門」は、毎回必ず悪徳な代官や腹黒い商人が水戸の御老公の印籠でやっつけられるという正義が勝利する勧善懲悪のストーリーで、その真っ当な気持ちの良さと安堵が庶民の溜飲を下げて大人気でした。日本を深く知り日本人を愛するようになるにつれ、日本は名も無い多くの誠実で真面目な一人一人の真っ当な働きで、つつがない平和や清潔で快適な暮らしが支えられていることを日々実感します。日本で生まれ育ったわたし自身も今やその一員であると、胸を張って言うことができます。だからこそ民主主義の根幹である選挙権を持つ日本国民が、政治家を選べる選挙権があるにも関わらず、何故あのように人として酷い政治家を自ら頭上に戴いているのか、不思議でなりません。
ワールド・ニュースで、不便を被りながらもパリの農業従事者の大規模ストを理解し受け入れている市民と、迅速に労働者たちとの対話に臨み対応する35歳ガブリエル・アタル首相の清々しさに、成熟した真の民主主義を見る想いがしました。「フランス国民の台所と食生活を支えているのは私たちだ」と誇りを持って主張する農民の姿と、それに連帯し支持する国民。さすがフランス革命を成し得た国だと思いました。 未だ日本国は「源氏物語」の伝統に生きる、小さな島国のままなのかもしれません。固有の伝統文化の素晴らしさは尊重するとして、一方では普遍的な「まともさ」、民主主義の素晴らしさも開花させてほしいと、外国籍ではありますが日本で生まれ、日本語で育ち、並の日本人以上に日本の文化と人々を敬愛していると自負するわたしは、この国のこれからの形を思わずにはいられません。
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