新たなる命いずる六月

 子供の頃には苦手だった葱が、すっかり好きになっている。
芳しい新蕎麦に添えられる葱、あるいは焼き鳥の「ねぎま」の白い福々とした葱の存在感。 
 朝鮮半島の滋味深く味わい深い「ヤンニョンジャン」は、それ自体で惣菜いらずというほど飯に
よく合い愛されているが、そこでも葱は重要な役割を果たしていて、およそニンニクと共に葱無しの
ヤンニョンジャンなど考えられない。
ネギは当ブログのタイトルにもなっている。清涼で甘くもあるが、時にピリリと辛く、薬にもなる。

 正義に正解はない、正義にもさまざまがある、などというが、私はそうは思わないことにした。正義は解釈のしようもないほどに揺るぎなくシンプルで、唯一のものだからこそ『正義』なのではないか。それぞれが己が「正義」を名乗り振り回すからこそ紛争は起きるのだけれど、だからこそ『正義』は唯一でなければ、たちまちに変容して汚れたものになってしまう。
私が生まれ育っている東洋では、六月は田園に水が満々と張られて米の苗が植えられる、命の始まりの季節である。真っ当な労働による、真っ当な命の育み。西洋では花咲き若葉が芽吹く最も美しい季節であり、男女が命の再生を寿いでゆくジューン・ブライド。

 私もまた混沌とした時代であるからこそ、決して失望などしたりせず、この月に誕生したことを喜びとして揺るぎなき「真っ当さ」を目指し、「葱」を食しながら生き綴ってゆくことを今一度、誓っている。

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