京都に、故・中曽根総理大臣の肝煎りで創設された『国際日本文化研究センター』は多くの文化事業が函物で終わってしまうのに比べると、事業の命が生きて継続している数少ない成功例ではないかと思います。わたしも講演などには良く出掛けておりました。
京都という街は小さいながら、深く濃厚な魅力ある街です。人間も実に魅力的で、多くの大学を擁する学究の都市でありながら、先生方には学者然としていない個性的でユニークな方々が多かったように思います。その中のお一人、中でも梅原猛さんは明るいお人柄でメディアの露出が多かったせいでしょうか、はたまた市川猿之助一座に書いたスパー歌舞伎『ヤマトタケル』などの物語の名手だったゆえんでしょうか、大変な人気で、日文研の退官最終講演の折などには希望者が殺到して抽選になり、わたしは外れてしまいました。同時代にごく近くの距離に住っていたにもかかわらず、とうとう生のご本人と肉声にま見えることは叶わず残念でした。
どういういきさつで知ることになったのかサッパリと忘れているのですが、いま日本が世界に誇るトヨタ自動車というのは、トヨタの先先代が自動織機から自動車産業に舵を切るに当たって、とっくに技術者を辞めて東北の仙台で喫茶店を営んでいた梅原の父を見込んで日参し説得し、ほんの少人数から始まった会社であることを知りました。そのために創業メンバーとなった梅原の父・判二はトヨタから大変な額の報酬を得ることになり、その財産はもちろん息子であった梅原氏が受け継いだのですが、わたしの印象に深く残ったのは、その中に二十数頭もの競走馬があったということでした。わたしは馬が大好きなのです。梅原氏の豪邸より、その馬の相続が意外で羨ましく、強く印象に残ったのでした。梅原半二氏は御子息以上に、ユニークで優秀でさぞかし魅力的な人であったに違いない、と。
馬主になるというのは大変にお金がかかるものなので、現代においても成功者の最高の道楽か夢のようなものです。喫茶店主から車という「現代人の足」にシフトした半二氏の晩年は、さらに太古から人間の移動手段だった馬へと回帰しているのです。なかなかのものではありませんか。その天翔ける遺伝子は、哲学という文系の野を存分に駆け回った猛氏の人生に受け継がれていたと思えます。こんなことを想い出したのは、或る人が現在はトヨタの社長を退いて会長になっている豊田章男氏について、(イーロン・マスクやビル・ゲイツのような人々を想定してか)人柄が良いというのは経営者としての資質には不要、というようなことを言っているのを読んだからでした。経営者に「情け」のようなものは要らぬ、クールな合理主義こそ、という意図でしょう。しかし、わたしはもとより馬の、あの誠実で深く哀しげな瞳の色に惹かれてやまない人間です。無論、競馬場で可愛い「推し」の馬が勝ってくれればいうことはありませんが、そもそも競馬はギャンブルだ!というような道徳教育に毒されて、わたしは未だ、一度も足さえ踏み入れたことがないのです。
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