3月12日放送分のNHK朝の連続ドラマ『ヴギウギ』で、朝食を食べない一人娘に母親である主人公のスズ子がどうにか食べさせようと干渉し、「ほっといて!」と口応えをされて「あんたを心配してのことや!」と怒鳴る姿に、もう還暦を過ぎているというのに、わたしは思わず「鬱陶しい〜!」と、あろうことか八歳の娘の方に共感して呟き、我ながら苦笑してしまった。
「あなたの為」「あなたのことを思って」は、親としては嘘偽りのない感情である。ことが食事でも鬱陶しいのに、これが進学や職業の選択、ましてや結婚となると、非常に厳しい事態になる。子は親が鬱陶しく厄介で、たまらないだろう。
「あなたの為」は、親の体裁、「あなたのことを思って」は、子ではなく親の利益のためだろうという子からの手酷い反撃に遭うことになり、子供は分身、自分=子供と一体くらいの気持ちで子供と接してきた親にとっては、立ち直れないほどの打撃や喪失感になるだろう。狭い共同体での結婚や、政略結婚が当たり前だった時代ならまだしも、社会科学も自然科学も飛躍的に進歩し、様々な価値観が交差し、デジタル化が世界を変えてしまった現代においては、親子関係も影響を受けずにはいられない。
親と子の価値観がほぼ一致して、体裁のイメージも一致しているような場合は多幸。あるいは逆に親は親、子は子と適度な距離感を持ち、互いの人格を尊重し合うような知的な親子関係ならまだしも、そうでない場合には修羅場になる。実際、ロミオとジュリエットまではいかなくとも、結婚を機に親と子が断絶しているケースを何組か知っている。子を生み育てた親として、こんな不幸があるだろうか。
スズ子の場合は、夫となるべき人は子の出生前に亡くなっており、娘は愛した人との唯一人の忘形見である。娘は身寄りの少ないシングル・マザーで、かつ芸能界という厳しい世界で奮闘するスズ子にとっては命にも変え難い存在なのである。これがたとえばきょうだいは六人だとか男五人兄弟などということになると、当然、干渉の度合いは全く違うものになったであろうし、子の逃げ道もあろうというものだが、この場合は母も子も唯一の対象として相手の存在にしがみつくために苦しいのである。もし母に恋人がいたらどうだろうか、と想像してみた。子への愛情は愛情として、一人の女性としての愛情が向かう対象が別にあるとしたら、そしてそれを当然とする環境と時代であったなら、もちろん互いへの束縛の度合いははるかに軽減する。満ち足りている人は、束縛も依存もしないからである。
結論からいえば子育てに、というより家族の在り方に正解などありはしない。わたしの場合はネグレクトか?と思うほど、両親には自由にさせてもらえたことが何よりも有難く感謝している。しかし同時にあまりにもドライなために時に寂しく、友人のウエットな親子関係が羨ましかったこともある。程よくちょうど良い、などというのは中々ないのである。濃密な親子関係に満足して、再び依存し合う親子関係を再生産したり、あるいは反動でそっけないほど放任に育ててみたりと、最初は親の独壇場である。しかしそのうち成長した子には自我が芽生え始める。従順な子供あり、反逆児もありで、親はその都度泣いたり笑ったりすることになるが、それが人間界の醍醐味というものではないかー。
わたしは保守的な人間なので、できれば皆が愛すべき人と出会い、生殖能力があるならば(頭で考えるよりも)本能の促すままに、子供という新しい命と向き合って生きるという尊い経験をしてほしいと願っている。もっとも今、少なからぬ女性たちの「子供を持たない」という選択が本能がなす声だとすれば、返す言葉もない。
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