12月 五島列島への旅 (1 その前に)

 都会の巷では、まだ12月にもなっていないというのに、気の早い人たちが11月末から商魂たくましく煌びやかにツリーを飾りだし、クリスマスソングで雰囲気を盛り上げていたりします。でも、盛り上げるって、何を? キリスト教のイェスの誕生日をです! 国民のほとんどが仏教か無宗教で、キリスト教の信者は、1パーセントにも満たない0・8パーセントほどですから、日本はなんとも不思議な国です。けれど、敬虔なキリスト教者ではなくとも、サンタがやってくるという明るく楽しい雰囲気は理屈なしにワクワクし、その先には新年を祝う正月というイベントが続くので、寒く暗い冬の季節に街中を美しくし幸せな気持ちにさせてくれるクリスマスが、わたしは子供の頃から大好きでした。日本にも韓国にも親族にはキリスト者が幾人もいますし、ほんの短い一時期、私自身も教会に通ったことがあるので、他の人に比べると少しはキリスト教に近いかもしれません。それに何より、いくら世界中からいい加減だと思われても、宗教の厳格な公理、原理原則を振りかざして鋭く対立し、憎悪で互いの命を奪い合うようなあり方に比べれば、なんともゆるく、八百万の神を受け入れる「節操の無さ」の方がマシだと、平素は決して「キリリとした厳しさ」に惹かれなくもないわたしでさえ、思わずにはいられない2023年の暮れです。

 この12月に、思いがけなくもずっと気になっていた(行政区分としては長崎県に属する)五島列島に旅することになりました。熱心に誘ってくれる人があり、素直に乗りました。わずか数年前まで伝統的な儒教的朝鮮家庭の、「ザ・トラディッショナル正月行事」の担い手だったわたしには、師走のこの時期に旅行など思いつきもしないようなことでしたが、コロナ禍を経ての生活環境の激変と、程よい加齢で迷いは吹っ切れ、思考・判断の基準は「愉しいか、愉しくないか」にシンプルに一元化されました。それも「命あってのもの種」で、生きているうちにしたいことをしておく!というのが信条になりました。我慢や犠牲、世間がどう思うかという体裁より、まずは自分が幸せかどうか、そしてまずは自分自身が幸福であってこそ、他者をも幸せにすることができるのではないか、という真なる想いに到達したからです。大人になり、結婚して妻になり、他家の嫁になり、その一員になってからの毎年の12月はトラウマになるほど、ただただ山のような雑事で心身ともに疲れ果て鬱になるような辛い日々だったことを思い起こせば、いまはまるで夢のような12月です。旅の前にまずは五島についての簡単な予習。集めた資料にざっと目を通して自分なりの3パージほどのメモ・レポートを準備し、いざ出発。わたしは縛られた旅が嫌で、あとは野となれ山となれの、旅先での思いがけない発見や行き当たりばったりを楽しみたいタイプです。今回のメンバーは3人でしたが、気づいたのは三人三様の事前の準備のあり様でした。わたしのように直前になってから、急ぎ付け焼き刃で準備をした者もいれば、ひと月前からあれこれと動画を見ながら既に何度も旅先を楽しんでいるような人、あれこれ5冊もの本を読んで調べ、食べたいものや行きたいスポットを細くチエックし、遅延なく遺漏なく五島を120%愉しむために準備万端の者ありと、旅の楽しみ方は性格により千差万別なのだとしみじみと感じ入ったことでした。ひとり旅も素敵だけれど、同じこと、同じところを経験し、同じものを見ても、それぞれの感受性でこんなにも感想が違うなんて!という発見の旅もまた愉しい。しかも今回のメンバーは、なんと気心の知れた「家族」だったのですから!

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