決して開かないと思われていたガッチリとした蓋、腐った天井に綻びが生じて崩れ、さっと新鮮な空気が流れて青空が開けるというのは、文字どおり生き返るように気持ちの良い、明るい希望です。その最初の一鉄を加えるのは、やはり非凡な気概を湛えた勇気ある一人。だからこそわたし自身は凡人であることを事あるごとに自覚し、勇気ある人に限りなく憧れ心から尊敬せずにいられません。NHKの朝ドラ『ブギウギ』(10月25日放送回)を見て、1933年に松竹少女歌劇団での待遇改善を求めて起きた実際の少女たちのストライキ(俗に言う「桃色争議」)を描いた結末に、このわずか15分の内容は大学で受ける授業のワン・クール分どころか、一生分の経済学的、つまり商業、経営、広告マーケティング、法学、哲学、心理学、芸術、その他あれこれを考えさせるテキストに匹敵すると思えました。(最近の脚本家には、目覚ましい才能と志が垣間見えます) 欧米から日本にもたらされたストライキの権利は、しかし今も日本では、ことにフランスに代表されるような労働者の当然の権利とされる欧米とは大きく違い、会社に迷惑をかける大それた過激な行為として、羊のように従順な日本の庶民から「恐ろしいアカ」の所業のように思われているフシがあります。実際にこの日の「ブギウギ」放送分でも、会社側の不当な処遇に対抗し、文字どおり生存をかけた覚悟で当然の要求をしたストライキの首謀者は解雇され、その犠牲の上に会社に残った者たちも会社に対して、また世間に対して贖罪感を抱かずにはいられません。子供の頃、テレビの画面で水の江滝子さんや笠置シズ子さんを見知っていたわたしは、この「ブギウギ」で初めて彼女たちにこんな経験があったことを知りましたが、東京OSKの争議ではなんと水の江滝子さんが18歳で代表だったことを知り、驚いてしまいました。約100年近く前の昭和の日本で(戦前です)少女たちがこんなことをするのは、2023年の日本でストライキをするのとは次元の違う空気であったことを想像してみてください。実際に彼女は警察に拘禁までされているのです。救いはメディアが少女たちに同情的であったことで世論が動き、結局はその空気感に会社が折れたのでした。今もエリート大学を卒業した秀才たちが、権力におもねり不正に目をつむって保身を図る卑しさに比べて、なんという潔の良い美しさでしょうか。このドラマの脚本は最後に、会社側に要求を飲ませ勝利を勝ち取った少女たちに「団結」の力を語らせました。そうでなくてはなりません。メディア、世論、空気感で社会が動くというのは、昨今起きたジャニーズ事務所を巡る動きと、なんと似通っていることでしょうか。力のある権力は、弱き者たちを意のままにしようとする。しかしそれに対抗する力は結局は世論ー世間の空気、という平凡な庶民たちの醸す空気感なのです。だからこそ権力はメディアを掌中に収め仲良くして都合の良い広告をし、庶民の目を幻惑し、誤魔化し騙し、自分たちの安穏と保身を図ろうとします。芸能人は、その影響力ゆえに、しばしば権力に利用され、一方で標的にされます。わたしが青春を生き、幸せだった時間と悲しみの時々が刻印された時代のスターたちが、いま次々と姿を消していきます。否応なく時代は移ろい、わたしの人生も残り少ないことを実感させられています。しかし、世の移ろいは自明の事、悲しいばかりではありません、次々に新しい命は誕生し、新しいスターも生まれています。なんと心踊る、ワクワクすることでしょう。バトンは着実に引き継がれていく。生前のアリスの谷村新司さんが自分たちの歌を、たとえば地方から都会に出てきた若者の心情を歌ったものなど、「時代だよね」と回想していましたが、「歌は世に連れ、世は歌に連れる」のは、その歌がその時代に生きた人々の心情を反映して物語り、心から愛されたからに他ならないからです。新しい時代には新しい時代の素晴らしい歌(詩)が生まれます。心から謳歌したいと思います。
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