「大人になってからのあなたを支えるのは、子供だった頃のあなたです」という、石井桃子さんの言葉が印象的です。わたしは子供の頃から、謎解き番組や推理小説が好きでした。何ものにも斟酌せず、知的に淡々と真実だけを追求していく道筋。公正でシンプルで真っ当な。しかし、あたたかな情熱なしには成し遂げられないワクワクするような、明るい希望への営為。このブログは、そんな子供だったわたしが、大人になった今も好奇心のまま想いの丈を綴る、次世代へのバトンです。
子供の頃、仲秋の明月の候といえば『秋夕(チュソッ』。朝鮮の家庭では四代前までの先祖を家族どころか親戚一同、一族郎党うち揃って供養する「祭祀(チェサ)」という大切な行事があり、準備が負担になる大人とは違い、子供にとっては山のような馳走と、たまに会う大勢の親戚の子供との邂逅が嬉しい一大イベントでした。日本で生まれて育ったわたしも子供の頃から当たり前のように馴染み、秋夕のチェサでは「松餅(ソンピョン)」を作ったり、祭祀で使う伽羅などの香木を削ったりと、父や母の手伝いをするのはとても誇らしく楽しいことでした。そういうわけなので子供の頃から60年以上、婚家の主婦になってからは自分が主になって続けてきたこの行事を止めるのには、なかなかに勇気が要りました。 その決定には、なんといっても男尊女卑の儒教的祭祀なのですから、夫と息子、ことに息子の意思が重要です。わたしは伝統的で保守的な人間でもありますが、新しい世代を伝統で縛り付けるのにも抵抗があります。祖父母亡き後、ゆくゆくはこのトラディッショナル・イベントを継ぐと言っていた息子は、朝鮮式の祭祀をしたこともないという牧師の娘と結婚することになると、あっさりと前言を翻しました。何しろ先祖に供え、集まる親戚一同にふるまう山のような料理を作らねばならないのは、妻たる嫁の仕事なのです。「やりたくない」という新妻と対峙した息子と、どうにかこなしてきた、昔・新妻で今は古女房となったわたしを相手にした夫が、ともに女たちの負担を考慮して、何百年も続いてきた民族的な「祭祀」をやめるというので、わたしには多少の寂寥感と複雑な想いもありましたが、結果的にはわたし自身も解放されることになりました。民族的なアイデンティティーはどうするのだ?という意見はもっともですが、伝統的な祭りや衣装なども楽しみであるからこそ続くのであって、重荷になっては意味がなく、結局は廃れていくのが民主主義というものなのでしょう。
そういうわけで最近のわたしの九月はすっかり自由になり、子育てからも仕事からも家事からも解放され、あろうことかもっぱら「勉学」の秋になりつつあります。今年は関東大震災から100年という節目の年でした。6600人以上とも言われる朝鮮人虐殺の史実を、石川逸子さんや辻野弥生さんをはじめとする多くの女性たちが書籍に残しているのを知りました。長い間構想を抱いてきたという人々が協力して森達也氏が監督が『福田村事件』という映画を作り、また今、80代に何なんとするような在野の研究者や市民の会が地道に事実を発掘して記録を残し、日本国が官民一体となって犯した歴史的罪業を日本国が忘れてはならない教訓にしようと真実を明らかにしています。それに対して現日本国政府は、「記録がない」などと事実さえも認めようとせず、小池東京都知事に至っては、歴代の知事が行ってきた朝鮮人被害者への追悼文を拒み、「虐殺はなかった」とする団体に、朝鮮人慰霊碑前でのヘイト集会を許可する始末です。
もとい、女だから、男だから、と意識しすぎるのはいけないことと知りつつ、しかし、最近のわたしはどうしても、女性の仕事と姿勢に感動し、感嘆し、尊敬しないではいられません。男性にももちろん、素晴らしい人は沢山おりますが、これまでの世界が男性中心だったのは女が劣っていたからではなく、その能力は発見され伸びる前に抑圧され、発揮されなかったからに過ぎません。9月にはおよそ10冊ほどの本を読みましたが、その中で最も刺激を受け感動したのは柚木麻子著による『らんたん』と、本田靖春ノンフィクション賞を受賞した伊澤理江さんの『黒い海 船は突然、深海へ消えた』でした。出世・栄達などという目先の利に聡いー、よって権力に与して正義など歯牙にも掛けない、これまでの(卑しい)男集団の対局に位置するような、女性たちの意志。決して諦めずに本能の赴くままに真理を追及して迷いなく一直線を行くような彼女たちの姿勢にどれほど励まされ、力づけられ、勇気と光をいただいたか知れません。今から30年も前に、小児科医である松田道雄氏は『私は女性にしか期待しない』という本を著していましたが、それは命を孕み育くむ女性が、死と暴力の世界の対極にある存在であることへの絶対的な信頼と確信からであったのだろうと思います。 かつて、わたしにとって台所で料理を作ることも楽しく尊い仕事でしたが、今はそれと同じくらい、同じ女性たちの尊く気骨ある仕事に触れ、学ぶことが悦びとなっています。
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