「どの口が言う?」

 4月27日に行われた衆院選補欠選挙。東京15区選挙区に自らが推す候補の応援に参加した小池百合子都知事の発言には、複雑な想いを抱いた。一議席を巡って9人の候補が乱立するという珍しい構図。自民党への逆風と自らの学歴詐称問題を問われて小池都知事が推す候補は敗れたが、それに先立つ19日の記者会見で、「街頭演説中に他陣営の街宣車に大音響で選挙妨害をされ、命の危険を感じるような場面もあった」と述べた一言である。自宅周辺でも同じようなことがあったと述べ、「選挙活動の範囲を逸脱している」、「法律の範囲内で、何ができるか精査してもらっている」と述べた発言である。大勢に無勢ではない。大勢に護られた選挙中の、大音響の言葉の妨害にさえ都知事は恐怖を覚えたのである。

 選挙の街頭演説中に、言葉が聞こえないほどの大音響で他陣営の候補が妨害をする。確かに決して許されてはならない不快なことである。しかし、と思う。
小池氏は知る人ぞ知る、100年前に東京で起きた未曾有の関東大震災で、「井戸に毒を投げ入れた」「暴動を起こして日本人を襲っている」などとのデマで市井の人々によって惨殺された、およそ6600人とも言われる朝鮮人の慰霊祭に、歴代の都知事が送ってきた追悼の言葉さえ請われても拒否している人である。「被害を受けたのは日本国民も同様で、死者は同じように慰霊しているのだから、朝鮮人犠牲者だけを、ことさらに慰霊するメッセージは必要ない」というのが彼女の言い分であり、都知事はこのようなメンタリティの人である。何故、その凄惨な事件の起きた東京の現在の知事として、あるいは一人の人間として、「怖かったでしょう?当時の権力はあなた方の命を護ることができなかった。謝罪し、記憶し、二度とこのようなことがないように努める」というような一言のメッセージさえ惜しむのだろう。しかし、大音響で演説を妨害されたというだけで「命の危険を感じた」と述べるに至った小池東京都知事は、今回、自身の身に降りかかったことで、1923年当時、大震災の直後の混乱の極みだった東京で、日本語さえ自由でない無辜の人々が、ただ朝鮮人という理由だけで惨殺されるに至った恐怖を共有するに至ったであろうか? 初めて朝鮮人の味わった恐怖を想像するに至ったであろうか。

もう20年近く前のことになるが、今回の東京15区での妨害よりも酷い状況を目撃したことがある。神戸の三宮で田中康夫氏が推す候補の街頭演説に意図的に狙い撃ちをし、日の丸を掲げた右翼の街宣車が大音響で軍歌を流しながら先回りをし、あるいは追いかけて妨害をしていた。耐え難いほどに醜く許し難い光景であった。しかし、警察が来て彼らを排除したりニュースになることはなかった。一方、さして昔のことでもない2019年、北海道で安倍首相の街頭演説に肉声でヤジを飛ばしたという男女は、その場で警察に身体を拘束され引きずられ連れ去られた。安倍一強といわれた権力の為せる技である。自民党政府与党の「裏金事件」による今回の長崎、島根、東京15区の衆議院補欠選挙では自民党が全て敗れた。政治権力を持つ彼らは、口では反省すると云いながら、決して議員辞職はしない。正直に証言すると云いながら、知らぬ存ぜぬ、と嘘を言い続ける。卒業していない大学を卒業したと嘘をついているのでは?と疑われている小池東京都知事は、かつての朝鮮人の恐怖には言及しないが、自らが味わった恐怖には法に訴えるとまで語る。権力を持たない庶民には清廉潔白を強要しながら「どの口が言う?」と思わずにいられない。ちなみに東京15区で当選を果たした若干37歳の酒井菜摘氏のスローガンは、「まっとうな政治をめざす」というあまりにも素朴な原初的なものであった。

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