『竜馬がゆく』と、『ゆけ、おりょう』

 1923年の今年は、国民的作家といわれ文化勲章受賞者にまで上りつめた作家・司馬遼太郎の生誕百周年ということで、関連本をいくつか読みました。(因みに1923年は未曾有の関東大震災が起った年で、その混乱の中で6600人以上とも言われる無辜の朝鮮人が虐殺された年でもあります。この前後に生まれ合わせた人たちは、ちょうど太平洋戦争時に成人に達した人たちで、男も女も青春時代をもろに戦争に奪われ巻き込まれた、気の毒な時代の人たちでした)その中で特に印象深かった三冊は、故・辻井喬(元西武百貨店社長、堤清二氏)による『司馬遼太郎覚書ー「坂の上の雲」のことなど』と産経新聞の同僚たちの編纂による『新聞記者司馬遼太郎』、そして門井慶喜氏による『ゆけ、おりょう』でした。門井さんの本を読んだキッカケは、「生誕100年 司馬作品を未来へ」というタイトルのシンポジウムに、私が信頼する日本文化研究センターの磯田道史氏とともに登壇していたからで、初めて御名前を知った門井氏のこの小説が、たまたま出かけた図書館の「司馬遼太郎生誕100周年特設コーナー」にあったからでした。意表を突くタイトルで漫画本のような装丁と思いましたが、数ある中からこの本を手に取ったのには別の理由もありました。わたしは1979年に放映された『葉陰の露』というタイトルのテレビドラマで、坂本龍馬の妻だったおりょうが龍馬亡き後に別の男性と結婚したことは知っていましたが、記憶は曖昧ながら岸惠子が演じたおりょうは、ただただ日々、緒形拳演じる夫からの嫉妬と暴言に耐える思いつめた寡黙な女房という風で、いかなる事情があったにせよ、坂本龍馬ほどの男の妻だったおりょうの選択と境涯にしては納得がいかなかったのでした。門井氏の小説では一転、おりょうは最初の1ページ目からおてんばというよりは品のない男まさりのはすっぱで、天与の個性があるとはいえ、当時の京の都の町医者の長女が、あのように底なしの酒飲みで出しゃばりという娘に育つだろうかという、こちらもまた納得がいかないものでした。けれども耐えて読むうちに門井氏の気味よく軽快な文章に乗せられて、読み終わる頃にはすっかり「おりょう」という人間に納得が行き、この女性を選び、包み込んだ龍馬という男の魅力にも、また龍馬と暮らした年月の何倍もの長い時間を、晩年まで龍馬の妻だったと明かさずに西村松兵衛という男と暮らした「おりょう」という女の潔さ、器量にも魅せられていました。松兵衛という男もテレビでの描かれ方とは違い、平凡でお人好しの穏やかな人間だったと描かれています。小説は史実に基づいて書かれるとはいえ、所詮は作り物であるために罪深いものでもあります。それは「竜馬がいく」で司馬良太郎が描いた「おりょう」が、龍馬のために寺田屋の菊の花をむしって枕にしてしまい、女将であるお登勢に叱られたという虚構のエピソードが、いつしか他の作家にも引用されて史実のように一人歩きをしてしまっていることに司馬自身が立腹したということにも顕著です。いずれにせよ歴史上の事柄が、描く作家によってさまざまな印象を放つ小説の力というものに、わたしは改めて感服しました。明治維新についてはさまざまな見解があるでしょうが、わたくしは革命ではなく、単なる下級武士集団によるクーデーターだという風に考えています。余談ですが、そして子孫の方々には申し訳ないのですが、わたしは朝鮮王妃殺害にも重大な影響を及ぼしたと思われる「陸奥宗光」という、よく言えば緻密、悪く言えば姑息で狡賢い人間が大嫌いで、彼のことを調べ上げて拙文を物したことがあります。『ゆけ、おりょう』の中にも、落ちぶれてたった二円を借りに来たかつての上司である竜馬の愛した「おりょう」を延々二時間も待たせた挙句、ぞろぞろと家族を引き連れて面接し、見せしめのように彼女を幼い二人の息子の前で罵倒して辱め、あろうことか1円80銭しか渡さなかったというエピソードが書かれています。人間の本性というものは変わらないものです。陸奥は海援隊の中でも嫌われていたようですが、こういう人間ほど組織の中では出世するのか、今も陸奥の銅像が日本外交の誉として外務省の中庭で職員たちを睥睨していると聞けば、かつて日本国に侵略されて植民地化された身としては複雑な心境です。一方、龍馬の方はだらしなく、甘えん坊。しかし情に篤く、明るくサバサバとして行動的。表裏のない正直さは多くの人に愛され信頼されて、結果として歴史上の大きな偉業に結びつきました。陸奥のような人間のDNAが、龍馬のような正直で真っ直ぐな人間的魅力に溢れたDNAに上書きされれば、日本と隣国の関係は改善され、日本国はアジアの中でも愛され信頼される国へと変貌できるように思うのですが…それは政治の世界ほど難しいようです。小説を読み終えて、なるほど『ゆけ、おりょう』という奇抜なタイトルは、『竜馬がゆく』とい小説のタイトルに呼応し対になっていたのだと気づきました。いま「おりょう」さんは龍馬の妻として「贈四位坂本龍馬之妻龍子之墓」に眠っています。おりょうさんとの間に息子まで成した西村松兵衛さんはどう思っているでしょうか。(ケネディ大統領亡きあと、再婚してオナシス夫人であったジャクリーヌ夫人も、死後はケネディ家の墓に埋葬されています)いずれにせよ、切ない男と女の物語です。

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