メディア、ジャーナリストの本分

 世間の多くの人々と同じように、3月に英国のBBCが制作して告発した『J-popの捕食者 秘められたスキャンダル』には大変な衝撃を受けた。事実そのものに驚いたが、ジャニー喜多川という人間が犯罪者であると決して芸能界では少なくない人々が知っていたにもかかわらず、多くの人々が見て見ぬふりをしてきたこと、その結果、何百、何千という少年たちが性的陵辱の被害者になったということである。そうして彼は罰を受けることなくもなく、栄光のうちに長寿をまっとうした。

 しかし、経緯は実に日本的であった。彼の犯罪が明らかに後も、ジャニー喜多川を偉大な才能の持ち主、良き人であったと讃え擁護する著名人たちの中には、告発し名乗り出た被害者をむしろ日本の恥とまで糾弾するものが現れ、ネットでは被害者を愚弄する書き込みが数万にも及んだ。同じような性加害事件があった韓国や英国の厳しさは大変に厳しく原則的で、薄々知っていながら、あるいは同じ被害に会っていながら後輩の犠牲を防がず、目を瞑っていた先輩たちは、加担した「加害者」とされた。英国では生前、ロイヤルファミリーや時の首相とも懇意で、「サー」の称号さえ持っていた著名な司会者は、墓まで暴かれたのである。日本の場合、テレビやラジオ、出版、新聞などのメディアはジャニー喜多川の犯罪を厳しく問うことなく助長させてしまったために、彼の事務所は芸能界における帝国のように絶大な力を持って、思いのままに君臨した。まさにやりたい放題であったという。

 一芸能事務所でさえ、これほどの影響力と力を発揮して罪を隠蔽し、逃れ、世間を欺くのである。ならば、権限たるやジャニーズ事務所など比ではない「政府」は、絶大なる力を持って面白いように「嘘」で国民を操り、隠蔽し、罪から逃れているのではないか?いや既に。しかもその権力たるや、国民の生命与奪はもちろんのこと、外国との関係まで左右する圧倒的に絶大な権力なのである。どんな汚い手を使ってでも、政権を手放すわけにはいかない。企業がイメージアップを図るため、自社の宣伝にタレントを使うように、政府までが政権のイメージアップを図って芸能人に近づき、利用しようとする。本来、演じることが仕事である芸能人たちを報道番組の司会者にし、お笑い芸人たちを国家プロジェクトやコメンテーターにまで起用し、センスィティブな政治問題や社会問題もジャーナリストの丁々発止ではなく、「笑い」と「予定調和」の演技をオブラートにして世論を誘導喚起してゆくような流れは、安倍政権時代に特に顕著になった。しかし、所詮、芸を売る水商売の人々と、権力を監視し木鐸になろうとしてジャーナリストを目指した人々とは別世界の志だった筈である。もちろん、素晴らしい気概の優秀なジャーナリストもいるにはいるが、日本的な穏便さと曖昧さを好む日本社会では稀有な存在で、この度のジャニー喜多川を巡る事件から、またぞろ、長い物には巻かれろで絶えず政権と癒着し、保身を図る自称・ジャーナリストたちの姿を思い出して、失望を禁じ得ない。真理を求めずに中途半端な仕事で保身を図るくらいなら、一体、何のためにジャーナリストになったのかと、もどかしい。

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