橋下徹という人と、文楽

 ちょうど40年前、大いなる期待と不安を胸に関西に転居することになった。関西にはまったく縁がなかったので周辺は大いに驚き、止めてはどうかというアドバイスをあちこちから受けることになった。しかし私は5、6歳の頃から藤山寛美と浪花千栄子の大ファンであって、一人でもテレビの前でゴロゴロしながら、あの独特な言葉の間と抑揚、つまりは大阪の情緒を好いていた。(いま思えば、大した子供だ)そのせいもあって、高校時代への奈良・京都への修学旅行は、これほど喜ぶ生徒がいるならと、きっと教師が知れば涙を流すほどの興奮で、行きも帰りも当時流行していた歌の「京都〜大原、三千院〜」などというフレーズを胸のうちで歌い続けていた。歴史書や物語に登場する建築物や芸術品の本物が実際にあるということを確認して、関西という別世界に全身で憧れたのである。

 しかし、旅と「居住」の間には天と地ほどの隔絶がある。津軽から出て東京で暮らしていた経験は、関東から関西への移動にはほとんど何も役に立たなかった。つくづくと、日本列島は静岡あたりで分かれているのであって(関ヶ原か)、津軽はまったき東京圏。大阪以西はそれはそれで一つの世界なのであった。
 まず、驚いたのはその頃の東京では電車の中の女性たちの靴はほとんどが黒や茶色やグレーであったが、近鉄電車では原色の赤や青やスパンコールのついた靴などが普通に見られたことだった! 関西の女性たちは飾らない、気さくだというイメージは確かにそうだったが、それは体裁を気にする奈良や京都では大阪とは大いに違い、また兵庫にはハイカラ好みの別の趣があって、関西はむしろそれぞれがプライド高く独自色を保っている、一国同士の集まりのようであった。それに大阪では「ボケとツッコミ」ができないと到底仲間には入れず、私が憧れ続けた「船場言葉」には、ついに40年間で、たったお二人にしか出会うことができなかった。

 わたしは本来、講談や長歌・小唄・どどいつ、常磐津、浄瑠璃などになんとなく惹かれ、自慢ではないが最後まで居眠りすることなく鑑賞できたためしのない能は別として、歌舞伎や文楽はすぐに好きになった。文楽の人形に惹かれたのは、子供の頃にNHKの人形劇で見ており、素晴らしい人形の作り手だった辻ジュサブローさんにお会いできたことが、ハードルを下げてくれたのかもしれなかった。人ができるものをわざわざ人形にしたて、黒子が操り、上達して権威になると次には顔を出しての人形使いになるというのもいかにも面白い。その上、繊細で巧妙な人形の表情の動きには、深淵にして高尚、高尚にして世俗的な人の世の業が感じられ、なんとも不思議な世界である。淡路島に旅した時に島の際端で見た文楽にはむしろ大阪の舞台とは違う艶かしさを感じて、関西文化の奥深さと裾野の広さに感じったものだ。日本の芸能文化は歴史の波を掻い潜って今日に伝えられてきた、繊細かつ洗練された、この国の人々が生みはぐぐんできた総意であって、一度失われ途絶えて仕舞えば二度と息を吹き返すことのできない、命そのものである。

 わたしは橋下徹という政治家をよく知らなかったが、この大阪府知事がどの歓楽街にもあるようなカジノは金欲しさに誘致する代わりに、この日本の至宝とも言える文楽をどのように扱ったか、文楽を大切に護り愛しんで今日まで伝えてくれた人々をどのように傷つけたか、そして人形を、文楽を愛する大阪の人々をどのように悲しめたかをしかとこの目で見ていたので、橋下徹という人のあられも無い薄っぺらな本性に気づいてしまい、ただただ哀れに思えて仕方がなかった、のだが彼を選んだのもまた、大阪の人々の気質であった。

コメント

タイトルとURLをコピーしました