映画「バービー」と「オッサンの壁」

 二月、温暖化で暖かな日が続いていたのに急に雪が降り出すほどに冷え込んだ一日、ダウンコートを引っ張り出して着こみ、これから正月を迎えるという熱帯雨林の島・シンガポール行きの飛行機に乗り込んだ。フライト時間はおよそ6時間、海外へ向かう旅好きには何ということもない程よい行程だ。夜乗れば、ちょうど目覚める頃には目的地。朝に乗り込めば、あれやこれやで遊んでいる内にもう外国だ。
 若い人に教えられて「機内で映画を見るなら是非バービーを」と言われていた。最初の10分間は独特のピンク色の世界観についていけずに苦痛で、到底最後までは辿り着けないと思っているうちにまどろんでしまった。苦行のように時々眠り、時々起きを繰り返しているうちに途中まで見たところでチャンギ空港に着いてしまった。飛行機を降りた途端に、場違いのタートルネックのセーターが汗ばみ、むうっとする生暖かな湿気に包まれる。

 いつの間にか日本は西暦に染まり、1月の年賀状は初春を寿ぐ。だが実際自然な「春」の兆しはやはり旧暦であって、その頃にやっと初春らしい陽光と花が新しい年の始まりにふさわしい悦びを伝えてくれる。中華圏の人々の寿ぎ方はもっと極彩で、街中に朱色が溢れ、ライオンダンス(獅子舞)のコミカルな黄色と音楽と、夜には爆竹と花火の音が派手に鳴り響く。旅の間に出会った日本人も現地の人と同じように、ごく自然に赤いドレスを愉しんで着こなしているのを好ましく眺めた。世界中で旧暦を祝う人口は四分の一以上にものぼり、アジア圏で正月が旧暦でないのは明治期に新暦にした日本だけだ。

 もとい、六時間前まで着ていた冬服を脱いで薄布をまとい暖気に飛び込んでも、さっきまで寒気に縮こまっていた身体は、なかなか芯から暖まらないのである。何事につけ、年齢を持ち出し理由にするのは悔しいのだけれど、素直にやはり「心身一如」、もはや若くはない心身のせいではないかと思った。
 実は旅の鞄の中に、毎日新聞の記者だった佐藤千矢子氏の著書『オッサンの壁』を携帯し、自宅から羽田までの車内と空港での待ち時間の間に三分の一ほどを読んでいた。佐藤氏は1965年生まれ。1987年に毎日新聞社に入社し、主に政治部畑で働き、外国特派員、政治部長、論説委員まで昇りつめた人である。当時の時代背景と著書の題名から、彼女の経験してきたことのおおよそは想像できるというものだが、しかしそれにしてもわずか35年前には、「女の子」として「猥談」にもじっと耐えて微笑み、薄汚い政治家カルチャーにも抗いつつ染まりつつの紆余曲折を経て、現在は『「オッサンの壁」は超えるものではない。壊すものだ』と言い切るまでの、日々の経験は尊い。

 わずか二週間という短い日々ではあったけれど、旧正月に湧くシンガポール、マレーシアで、さまざまな背景とさまざまなカルチャーを持ち、さまざまな環境、さまざまな人生観で生きる多様な考えの人々と出会い率直に話せたことは有益で愉しかった。ことに日本を脱出して海外に拠点を移している日本人たちが実にオープン、正直で、日本で出会う日本人たちとはタイプが違うことに改めて小さな驚きを覚えた。決断し、耐えるのではなく、楽しむ方へと舵を切った人たち。時まさに日本では長年にわたる自民党議員たちによる裏金問題が露見し、合わせて権力にへつらうメディア、ジャーナリズム、検察などの公権力の脆弱さが糾弾されていた。はっきりものを言う、というのは、実は大変なことなのである。

帰りの機内で、私は再び映画「バービー」に挑戦してみた。今度は眠りもせず、二度目の視聴とあって内容もクリアに、しっかりと頭に入ってきた。言語は違えど、表現は違えど、女性たちが経験してきた道は驚くほど似通っていて、人形=バービーの覚醒を促す事になる、バービーの生みの親とも言える社長秘書・グロリアの数分間にわたる演説には胸をつかれ、深い感動を覚えた。SNSには「バービーは社会問題への風刺に満ちた作品である。フェミニズムをベースとして、資本主義の行き詰まりを指摘し、男性中心社会あるいは白人至上主義からの脱却を訴えている。それらをコミカルにコーティングし、随所に笑える批評を忍ばせている」(鎌田和歌)と評価されて、アメリカでは内容でも興行収入でも大きな話題になったが、日本ではフェミニズムへの反発を恐れて宣伝も及び腰になり、本質的な評価には至らなかったという。選択的夫婦別姓が許されていないのは世界で唯一日本だけであるということを私は初めて知ったが、たかだか明治からの法律を日本国の伝統と言い立てて選択制に反対しているのが、裏金問題が露見しても罰せられないことを良いことに、連綿と地位にしがみつき責任も取らない政府自民党とあっては、社会の進歩が10年50年の単位で世界に遅れ衰退してゆくのは、やむなきことであった。

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